保守」を銭儲けのネタにする破廉恥漢
我が党は所謂「平成保守層」と呼ばれている昨今の自称保守とは思想的、あるいは行動理念に於いては一線を画している。しかしこの出版不況の中で利益を度外視して発刊したしている保守系の雑誌、または代表者の身銭を切ってまで活動を行っている「チャンネル桜」のように理念をもった団体には枝葉末節の世界観の違いはあれども最大限の敬意を表している。
保守論壇にWillと言う月刊誌があるが、例えば、この雑誌では女系天皇の容認論者である小林よしのり氏や、それに反対する水島聡氏などの両論を併記して、読者に論議を考えさせるという編集方法を取っている月刊誌である。
その結果、購読者数はこの手の保守系の雑誌の中では断トツで駅のキヨスクですら入手できる雑誌である。
ところが、支那のコピー製品よろしく、このwillの表紙をパクリwillの購買力に乗っかろうとしている雑誌があった。オークラ出版の「撃論」である。そのvol:3号には、本文において編集長の花田紀凱氏を「コリアン花田」出筆者の西尾幹二氏を「福島瑞穂のペット」と罵り、あたかもwillが保守系を装っているが、韓国、北朝鮮と繋がっている。または花田氏が在日、あるいはその子孫であるかのごとく西尾幹二氏を隠れ左翼のように表現しているのである。我々の調べによれば、そのような事実は全くなく、単に商業目的でwillに喧嘩を売り、willがそれに反応しwill本誌で反論などすれば「撃論」の売り上げに繋がるという、誠に賤しい編集方針である。
議論が白熱し、自説が反目しあう事は思想や政治を扱っている論壇であるが故に大いにあり得る事ではある。政治思想と言う物はそうやって熟成していくものであるからだ。しかし、そのような場合はあくまでも議論で決着を付けるのが保守系論壇、保守系雑誌の使命ではないか。
ところが、まるで総会屋のゴロ新聞のように嘘と出鱈目で他誌を誹謗中傷するのは、道義に外れている外道としか言いようがない。しかも購読数を増やしたいがためにだ。
しかし、オークラ出版「撃論」と言えば「撃論ムック」と言って、2006年から西村幸祐氏が編集長として保守層の支持を得ている雑誌であったが、なぜ、このような醜悪な事態に陥っているのか我が党は調査した。
先ず、西村幸祐氏は2011年1月に「撃論ムック」の編集長を辞任していた。その後、オークラ出版は西村幸祐氏が命名した「撃論」を廃刊せずに、数か月の休刊後に西村氏退任後に残った編集部と外部の編集プロダクションで再発行する事になる。
本来の韓流の雑誌などを出版しているオークラ出版が外部の編集プロダクションを使い、3.11の震災後「反・反原発」「原発推進」の論陣を張って再び出版された。
ここで注目すべきは、オークラ出版が「撃論」の出版の為に使っている外部の編集プロダクションにある。
昨年10月に発売された「撃論vol:3」の奥付があるが、ここには「編集 清談社」と書かれている。我々は早速謄本を取り寄せ、清談社について調べてみた。調べてみたと言ってもネットでの検索で十分、この会社の正体がわかるのである。
清談社の謄本には「代表取締役 板花基」「取締役 岡崎雅史」とある。
これらをグーグル検索でもしてみれば、どのような会社であるか一目瞭然である。
http://wiki.livedoor.jp/kobalos/d/%A5%D0%A5%C3%A5%AD%A1%BC%A5%E1%A5%F3%A5%D0%A1%BC
http://lazyemon.tripod.com/person.html
「撃論」には岡崎雅史は関係していないようであるが、板花基が自由民主党、たちあがれ日本などの保守系の衆議院議員、参議院議員、または、政治評論家や大学教授、准教授などを取材している。
また、近々発売された「撃論vol:4」では、なんと天皇陛下、皇室に対し彼ら清談社が編集しているとのことである。この件に関しては当然、我が党では宮内庁に事実確認と抗議文を手交する。
我が党は、保守系の雑誌の出版が増え、「will」や「正論」「月刊日本」などと共に社会に対し政治的な問題定義して行くことは大賛成である。しかし、先に述べたようにこれらのような破廉恥漢が、あくまでも金銭目的で保守系思想を気取り、雑誌の編集をし、天皇陛下、皇室、皇位継承権についてまで論陣を張るとは笑止千万である。
繰り返し言う、先のURLをクリックしたまえ。この様な人物達が保守言論は勿論の事、天皇、皇室にまで言及する事が許されていいのか。
「撃論」に於いては彼ら清談社の裏で20数年前に東西冷戦崩壊、ベルリンの壁とともにその存在も崩れ去り殆ど無名に近い存在となった、5流の評論家中川八洋が暗躍しているようだ。この5流の評論家が以前、文春時代の花田紀凱氏に本の出版を打診し、断られている。それで「激論」誌上で「コリアン花田」など出鱈目な誹謗をしたのだ。この5流評論家の存在も排除すべきである。
オークラ出版は直ちに清談社の編集した出版物を廃刊にし、編集プロダクションを差し替え、元来の「撃論ムック」に立ち返るべきである。