日共リンチ殺人事件 各論二「宮本顕治釈放の嘘」

宮本顕治の書いた『網走の覚書』には、出所直後の記述として「(前略)最後の重い鉄扉がギシギシと音をたてて開かれた。私は十二年ぶりに手錠なしに、はじめて監獄の外に立った。(中略)ゆっくり落ち着いてみるのは十二年ぶりの新聞!(攻略)」(原文ママ)とあるが、宮本が網走刑務所に服役したのは、日共は12年間だと云うが実際は僅か三カ月と18日である。この様な改竄はかわいいものである。宮本は自らの釈放及び復権で嘘の段段重ねを繰り返しているのだ。

●でっち上げの『宮本顕治公判記録』

鬼畜、宮本顕治自身が己の正当化のために捏造及び歪曲の限りを尽くして書いた『宮本顕治公判記録』から、次の一文を引く。なお、記載順序も含めてすべて原文ママである。

「宮本顕治判決原文末尾の記載」

(昭和十九年十二月五日、東京刑事地方裁判所三宅富士郎裁判長は、治安維持法違反およびその他の罪名で宮本顕治氏にたいし無期懲役の判決をくだした。しかし、日本軍国主義の敗北とポツダム宣言受諾にともない、「解題と若干の説明」で述べている経過をへてスパイ調査問題は法的にも決着がつき宮本氏は復権した。以下は宮本氏の判決原本末尾に記載された文章の全文である。編集部)

本判決ハ
昭和二十年十二月二十九日公布
勅令第七百三十號「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」第四條本文ニ依リ将來ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス
復権証明書(後略:注、次回各論三「宮本顕治復権の嘘」で詳述する)

宮本顕治判決文追記













(宮本顕治の判決文裏書)

上記、『宮本顕治公判記録』の「宮本顕治判決原文末尾の記載」について、改めてこの文章を書くにあたり、筆者の記憶違いまたは読み間違いであったかと思った重大な点について、宮本及び日本共産党は全国民に対して嘘をついている。これは冒頭で記したとおり「捏造及び歪曲の限り」を尽くしていると断罪せざるを得ない呆れたプロパガンダである。それは『宮本顕治公判記録』では、判決文原本裏書の文章が改竄されているのだ。以下、文章を併記してみたい。

・勅令第七百三十號「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」第四條本文ニ依リ(『宮本顕治公判記録』)
・勅令第七百三十號「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」第一條本文ニ依リ(判決文原本裏書)

先に掲載した判決文裏書の写真では「勅令第七百三十号第一条」と書かれているのが『宮本顕治公判記録』では「勅令第七百三十号第四条」と第一条を第四条と書き換えられているのである。では何故、宮本はこの様な改竄を行ったのか。それは宮本は治安維持法違反と刑法の併合罪で入獄されていたので、刑法犯を除くと明示している勅令第七百三十号第一条では資格の回復どころか釈放も出来ないのが白日の下に晒されてしまうためであろう。宮本及び日本共産党の卑しい本性が表れている決定的な証拠である。

上記の参考資料として、次に勅令第七百三十号の該当条文を記載する。以下を一読いただくと宮本らの記述には決定的な矛盾が存在するのが解るであろう。勅令第七三〇号では確かに復権の対象者を規定しているが、同時に「(前略)将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス但シ左ニ掲グル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ」と但し書きで“対象と為らざる者”についても規定しているのである。宮本顕治の場合は「左二掲グル場合」の別表一の九と別表二の一及び九に該当しており、復権出来るはずがないのである。参考として、次段に勅令第七三〇号を記載する。特に別表一の九と別表二の一及び九に注目していただきたい。

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/昭和二十年勅令第七百三十号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)

一 別表一ニ掲グル罪ヲ犯シ本令施行前刑ニ処セラレタル者ハ人ノ資格ニ関スル法令ノ適用ニ付テハ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス但シ左ニ掲グル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ
 一 別表一ニ掲グル罪ニ該ル行為ガ同時ニ別表二ニ掲グル罪名ニ触ルルトキ又ハ別表二ニ掲グル罪ニ該ル行為ノ手段若ハ結果タルトキ
 二 別表一ニ掲グル罪ト別表二ニ掲グル罪トノ併合罪ニ付併合シテ一個ノ刑ニ処セラレタルトキ但シ別表二ニ掲グル罪ニ付既ニ大赦アリタル場合ヲ除ク
二 別表一ニ掲グル罪ト別表一及別表二ニ掲ゲザル罪トノ併合罪ニ付併合シテ一個ノ刑ニ処セラレタル者ニ対シ別表一ニ掲グル罪ニ付既ニ大赦アリタル場合ニ於テハ別表一及別表二ニ掲ゲザル罪ニ関スル刑ニ付前項ノ規定ヲ準用ス
三 刑ノ言渡ニ基ク既成ノ効果ハ前二項ノ規定ニ依リ変更セラルルコトナシ
  附 則(注:省略)
別表一(注:宮本の該当項目のみ抜粋)
九 治安維持法違反ノ罪
別表二(注:宮本の該当項目のみ抜粋)
 一 刑法第二編ノ罪但シ第七十四条、第七十六条、第八十一条乃至第八十九条及第百五条ノ二乃至第百五条ノ四ノ罪ヲ除ク
 九 銃砲火薬類取締法違反ノ罪
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●判決文原本も怪しすぎる

「本判決ハ――」で始まる判決文原本裏書の記載は「いつ、誰が、いかなる権限で書いたのか」についてすべてが不明の“怪文書”と云ってよい代物である。これについては宮本自身が記した『宮本顕治公判記録』でも一切触れられていない。ただ確定判決書の裏書を書き起こして一切の説明もなく写真もない。写真を載せれば、三人の判事(三宅富士郎裁判長判事、青木義人判事、東哲夫判事)の署名以下に書かれた“落書き”だとバレるからであろう。日本共産党のお家芸である「自己都合の正義」がここでも発現しているのである。

さて、判決文の後に、公印もなければ、誰が書いたのかも全く記載されていない。裁判長判事を始め三人の署名があるが、これは判決文に対する署名である。筆者は公務員であったので公文書を読み慣れているが、この様な発出年月日なし、決裁権者の署名なし、公印なしのものは公文書としての体を成していない。発出年月日については言わずもがなである。署名については最低でも印字し明示されていなければ「ただの落書き」と同様である。また、公印については時代背景を勘案しても、自筆署名又は花押などが代替物として思い浮かぶがいずれもないのは異常である。

田中清玄氏(元日本共産党中央委員長)がインタビュー記事に述べているとおり、「日共党員が司法省に忍び込んで原本に加筆した」と云う仮想の方が日共の主張より余程、信憑性があると云えるであろう。以下、田中正玄氏の発言を抜粋する。「(前略)一方で、宮本は病気による刑の執行停止である。この曖昧さと二重基準は何故起きたのか。これは、日本共産党がデレビヤンコ(ソ連の占領軍司令官、対日理事会(連合国最高司令官の諮問機関、米・英・ソ・中で構成)のソ連代表)を使って、司法省に圧力をかけたのではないか。デレビヤンコについては、日共・ソ連に不都合な日本共産党関係書類を全部、占領軍命令で、警視庁、司法省等から引き揚げさせたとの噂もある。デレビヤンコの圧力か、日共党員が同省の書記あたりに居るので、それにやらしたか、または日共党員が勝手に同省に入って原本に書いたのか、解明すべき問題はこの点にある。」

●刑事犯の宮本は釈放不可

袴田里見は『獄中日記-一九四五年』で、政治犯ではなく刑事犯であることを以て釈放されないことを書いている。つまりこうである。「所長(注:宮城刑務所長)の言明によって併合罪の者は本省より釈放命令が来ておらぬということを初めて聞かされ、政府のやり口の愚劣さにあきれ果てたり。(攻略)」(原文ママ)

政治犯とりわけ日本共産党員の一斉釈放は、GHQの占領政策推進のため、反体制側の共産党員を利用することが目的であった。昭和20年10月4日発「政治的、宗教的、市民的自由の制限撤廃指令(SCAPIN93号・民権指令)」には四項目が記されていたのであるが、その第二項に「政治犯人を10月10日までに全員釈放すること」が含まれていたのである。これを受け、司法省は翌5日、政治犯の釈放を指令した。日本共産党員のみならず宗教関係者ら政治犯三千人を10月10日までに出獄させる措置を講じていたのである。

宮城刑務所に収監されていた袴田里見、岸勝、田島善幸、二見敏夫らは、治安維持法違反及び刑事犯の併合罪であったのであるから釈放されないのは当然であった。不可解なのは、袴田と同じく、不法監禁致死罪、不法監禁致傷罪、死体遺棄、銃砲火薬銃砲火薬類取締法施行規則違反等が確定した宮本顕治は、一日早く昭和20年10月9日に出獄しているのである。宮本顕治は、昭和二十年勅令第五百八十号減刑令に依って無期懲役から懲役二十年に減刑され、後述の昭和二十二年五月二十九日付け『復権証明書』に拠り公民権を回復したと吹聴しているのである。ただし、その一週間後発令された勅令五百七十九号(大赦令)に依って、政治犯として釈放された治安維持法関係違反者は、その罪も赦免され「刑の執行停止中」と云う変則措置の解消と共に復権している。

GHQの民権指令を受けた司法省が翌5日に発出した刑事局長名通達には「検事の指示に因る執行停止の方法に依り之を釈放し、保釈の方法に依らないこと」と記され、10月10日に出獄した政治犯は「刑の執行停止」によって出され、大赦令で正式に赦免となったのである。

併合罪で入獄している宮本、袴田らは政治犯として扱われず、恩赦の対象でもなかった。恩赦については日本側が10月12日付け「終連第二三三号」でGHQに伺いを立てているのであるが、GHQ側の回答には「(注:放火等)、傷害致死、強盗、強姦」などの凶悪犯にも減刑は適用するが大赦は適用しない」と明記され、GHQの決裁を経て発令された「大赦令」では「治安維持法等に該当する行為が、同時に他の罪名に触れるときまたは他の罪名に触れる行為の手段もしくは結果であるときは、赦免をしない」と明確に記されているのである。

併合罪で大赦されなかった袴田里見は自著『党とともに歩んで』(日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』連載)の一節で思わず筆が滑ったのであろう、次の様に本心を書いている・」。「網走で宮本顕治同志が釈放されたというのは、これは網走刑務所長のまちがいだったのか、あるいは司法省から行った書類の不備だったのでしょう。そのまちがいがあったことがひじょうに助けになったわけです。同じ罪状の宮本同志を釈放してわたしをどうして釈放しないかと、それでどんどん糾弾した」

日本共産党の最高権力者とナンバー2が、インチキ出所と脅迫出所であったことを認めているのである。(注:のちに袴田は党を除名されている)

●宮本の釈放上申書

昭和20年10月4日GHQ発「自由制限撤廃指令」は釈放すべき政治犯の定義として、「A.治安維持法関係の違反者、B.罪名が明確でないにもかかわらず入獄中の者、C.保護監察、留置、投獄あるいは自由を制限されている理由が、実際には彼らの思想、言論、宗教、政治的理念などによるにもかかわらず、法律技術で軽微な犯罪を問われている者」と規定している。宮本顕治の罪名「不法監禁致死罪、不法監禁致傷罪、死体遺棄、銃砲火薬銃砲火薬類取締法施行規則違反」が上記C(法律技術での軽微な罪)に該当しないことは明らかである。

では何故、宮本が出獄出来たのかと云う謎を説くために、網走刑務所所長、山本捨吉の釈放上申書及び同刑務医務官、吉田実の診断書を検証したい。

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宮本顕治・釈放上申書
 昭和二十年十月九日
         網走刑務所所長 山本捨吉
釧路地方裁判所網走支部検事局
  検事 佐々木利視殿
本籍 山口県光市島田町第百七十四番地ノ七
住所 東京都本郷区駒込林町二十一番地
昭和十九年十二月五日 東京刑事地方裁判所判決
治安維持法違反、不法監禁致傷、不法監禁致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反
無期懲役
刑の始期 昭和二十年五月四日
初犯一人 宮本顕治
     明治四十一年十月二十日生
右者頭書ノ刑執行行ノ処昭和十一年四月頃ヨリ肺結核二罹リ休養治療其ノ後肺浸潤又ハ肺門淋巴腺炎二罹リ屢々休養シタルコトアリシガ症状回復二至ラズ現症肺浸潤トシテ別紙刑務医官診断書ノ通リ此ノ儘刑ノ執行ヲ継続スルニ於テハ心身ノ衰弱加ハリ生命ヲ保ツコト能ハザル虞有之候二付刑事訴訟法第五四六条第一項第一号二該当スルモノト認メラレ候条至急刑執行停止ノ御指揮相成度候
追テ本人釈放後ハ東京都本郷区駒込林町二十一番地義弟中条国男方二於テ充分静養治療二務ムルモノニ有之候
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診断書
治安維持法違反、不法監禁致傷、不法監禁致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反
無期懲役
        宮本顕治
        明治四十一年十月二十日生
一、病名 肺浸潤
一、既往歴 生来虚弱ニシテショウワ十一年四月ヨリ昭和十九年六月迄肺結核ニヨリ休養セリ、昭和十八年六月五日ヨリ仝年九月三十日迄腸チフスニ罹リ治療ヲ受ク、其後肺浸潤或ハ肺門淋巴腺ノ病名ノ下ニ屢々休養治療ヲ受ク家族歴ニ特記スベキモノナシ
一、現症 体格栄養共ニ不良体温三七度ヨリ三七.五度ノ微熱継続ス脈搏七〇~九〇至整緊張佳良ナリ呼吸二〇~二五回平静ナリ顔貌憔悴シ活気ニ乏シ、舌咽頭粘膜ニ著変ナシ、胸部第二肺動脈音亢進ス右肺野ハ打診上背下部ハ短濁音ヲ呈シ呼吸音粗裂ニシテ時ニ小泡性羅音出没ス左肺野ハ肺尖部口抵抗アリ、呼吸延長ス、肩肺間部ハ呼吸音粗裂ナリ腹部臓器ニ著変ナシ
血沈一時間値二五耗、咳痰、結核菌陰性、現在食思不振ニシテ咳嗽、喀痰、盗汗アリ
一、予後 不良ト認ム
右ニヨリ心身ノ衰弱増進シ、刑ノ執行ニヨリ生命ヲ保ツコト能ハザルモノト認ム
 昭和二十年十月九日
            網走刑務所刑務医官 吉田 実
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GHQ指令やこれを受けた昭和20年10月5日付け司法省刑事局長号外通牒に拠っても、本来釈放され得ない宮本顕治は上記の診断書とそれを基にした釈放上申書に依って出獄できたのである。この事実は、宮本をはじめとして日共が今なお喧伝し続ける「政治犯としての釈放」とは相いれない不都合な事実である。しかも当時、宮本はすこぶる健康であった。少なくとも吉田実刑務医官の診断書に記載されている病状など微塵もなかったのである。次段は、吉田実診断書に対する岡治道博士(結核予防会・結核研究所長、東京大学医学部教授)の検証である。

「結核専門医の立場から見た場合、雲を掴むような診断書で何のことか判りませんね。まず何をもって肺浸潤という診断を下したかが不明です。肺浸潤は昔、肺結核や肺炎をも含む言葉として使用されたもので、現在は使われておりません。私自身も今まで、肺浸潤という診断をしたことは一度もありません。それほど不明確な、肺浸潤という 病名を診断する以上jは、レントゲン写真を添付するのが医者の常識です。もし添付できなければ、レントゲン写真の所見を記入すべきですが、ここには」何も書いてありません。したがって、それ以前にレントゲンを撮ったことがあるかどうかも不明です。当時でもレントゲンは普及していましたからね。

次の「予後 不良」これが問題です。まず肺浸潤(肺結核)で予後不良なのか、衰弱で予後不良なのか意味不明です。そもそも「予後 不良」というのは、先行き助からないだろうという意味なのですが、ここでは「まず入院しなさい。その上で精密検査をする必要があります」とするのが医者の常識です。この「診断書」といわれる文面でみる限り、医師の主観が多く、客観的な資料の記載もありませんので、何を言っているのか判りません」

●宮本は健康そのものだった

岡治道博士が指摘しているように、宮本顕治が出所後に入院治療した事実はない。冨士真奈美著『素顔対談』に於いても網走刑務所でも生活について「(前略)バターはないですけれど(笑)…それで体重が六十キロぐらいになったんですよ。六十キロというのがわたしの若いころの標準でね。(中略)そういうわけでむしろ健康を回復したんですね」(原文ママ)と宮本自身が健康であったと語っているのである。網走刑務所所長 山本捨吉の釈放上申書に記載されているような「刑の執行を継続するにおいては生命を保つこと能わざる恐れ」などは、宮本を「刑の執行停止」で出獄させるための事務書類上のでっち上げの形式手続きに過ぎなかったのである。

●宮本は刑事犯である

宮本顕治は、暴力革命でときの政府を転覆させようとしていた日本共産党の支配階級(指導者)であったのであるから治安維持法違反で政治犯として罰せられるのは当然である。加えて、確定判決でも認定された「不法監禁致傷、不法監禁致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反」を犯した純刑事犯なのである。日本共産党は宮本顕治が政治犯であることを強調することにより、刑事犯であることを意図的に隠蔽し事実を歪曲させている。宮本顕治は、現刑法であれば「未必の故意」に因る殺人罪で裁かれて然るべき極悪人である。この人非人を顕彰し続けると云う一点を以てしても、日本共産党は、戦前から一貫して善人面を装った人殺し集団なのは明らかなのである。

●国会答弁でも否定された日共理論

日本共産党は宮本顕治釈放の根拠として先に述べた民権指令(SCAPIN93号)の一文「投獄がその者の思想、言論、宗教、政見又は集会に存するに拘わらず、技術的には軽微の犯罪を理由として其の罪を問う場合」の“軽微な犯罪”を「副次的な罪」と曲解定義して、宮本顕治の刑事犯罪を揉み消そうとしている。しかしながら、国会答弁(昭和51年10月5日/参議院予算委員会)に於いては、この日共理論は完全に否定されている。

稲葉修法相「宮本氏のは罪名が治安維持法違反、不法監禁、監禁致死、傷害致死、死体遺棄、こういうふうになっているんですね。治安維持法に少しでも軽微な罪があったのは釈放しろと書いてあるから、釈放するのが本当で、釈放しなかったのがうそだみたいなことを言いますけれども、不法監禁だとか、傷害致死だとか、死体遺棄だとか、軽微な罪でしょうか」

安原法務省刑事局長「宮本氏の場合、判決によりますと、裁判所は同氏らが小畑氏らを監禁したり、暴行を加えたりして同氏を死亡させ、その死体を遺棄したなどの事実を認定した上、これに刑法所定の罰則を適用したものでございまして、実質的な政治犯に対し、技術的には刑法を適用したものではございません。監禁罪は(中略)覚書に言うところのマイナー・オフェンスという軽微な罪に当たらなかったという解釈が確立をしておったものと考えられるのであります。なお、マイナー・オフェンスにつきましては(中略)副次的犯罪という趣旨は必ずしも明確ではございませんが、それ自体どんなに重い罪であっても、処断刑が治安維持法違反等の政治犯である場合すべて副次的な犯罪と解する趣旨であれば相当ではないと考える次第で(中略)治安維持法違反と刑法犯とがいわゆる一所為数法―同時に二つの罪名に触れる場合におきましても、解釈の対象、あるいは復権の対象には当然ながらならなかったということは明文にも明らかでございます」

●宮本釈放は司法当局のミス

加固義也著『リンチ事件の研究』より「昭和二十年十月四日にGHQの一〇.四指令(注:民権指令)が出、翌日司法省刑事局長の号外通牒が出、更にその翌日日本産業経済新聞その他の各新聞が一せいに即時釈放が予想される政治犯の氏名を報道したが、その中に宮本顕治の名前が含まれていた。これは誤報であった。そのニュースソースは司法当局であり、司法当局は作業上のミスで釈放されるべきでない宮本顕治の名前を報道関係者に伝えてしまったらしい。この新聞報道を見た網走刑務所長は、号外通牒との関係で宮本を釈放すべきかどうか迷った。丁度そこへ、宮本に対し、栗林敏夫弁護士と東京で予防拘禁されていた徳田球一の連盟で「デタラスグコイ、シュクシャノヨウイアリ」という電報が届いた。釈放は当然といわんばかりの電文であった。網走刑務所長はこの電文を読み早速宮本に対し病気を理由に刑の執行停止の指揮がなされるよう診断書を添はして検事局に上申し、検事の釈放指揮をまって昭和二十年十月九日宮本を網走刑務所から出所させた。」(原文ママ)

●宮本釈放に根拠なし

日共及び宮本顕治は、昭和20年10月4日付け SCAPIN93号(民権指令)に依って「政治犯」として釈放されたと嘯くが、上記のとおり宮本は刑事犯の重罪人であった。加えて、釈放の根拠も政治犯云々は関係なく「健康上の理由」なのである。しかもその「健康上の理由」すらも網走刑務所所長 山本捨吉の釈放上申書と同刑務医官 吉田実のでっち上げ診断書に拠るものであるから、宮本は刑期を残したままシャバに出て国会議員にもなっているのだ。終戦直後のGHQに牛耳られた塗炭の苦しみの時代ならいざ知らず、表面上は“独立国家”の体を成している現在でも、公選法の欠格条項に抵触して立候補ましてや当選なぞ出来ない犯罪者である。その宮本を最高権力者として顕彰して恥じないと云う一点を以てしても、日本共産党の本性は暴力と権力志向であると断じるに余りある証左であろう。我が党の主張及び検証が間違いだと云うならば、宮本の遺族及び日本共産党は即刻再審請求をせよ。


参考資料:「文化評論 臨時増刊」 新日本出版社
       「宮本顕治公判記録」 宮本顕治 新日本出版社 
       「昨日の同志・宮本顕治へ」 袴田里見 新潮社
       「日共リンチ事件と宮本委員長の内幕」 産経新聞出版局
       「リンチ共産党事件の思い出」 平野謙 三一書房
       「日本共産党の研究」 立花隆 講談社
       「正論 平成16年11月号」 兵本達吉 日本工業新聞社
       「日共リンチ殺人事件」 松本明重 恒友出版
       「歴史を偽装する日本共産党―リンチ事件をめぐる9つの嘘」 民社党教宣局
       「裁かれる宮本顕治・日本共産党への審判」 国際勝共連合広報委員会

日共リンチ殺人事件 各論一「小畑達夫氏殺害の真実」

日本共産党の本質は、日共が喧伝するところの「平和、護憲、平等」などとは真逆のものである。つまりは、労働者階級を支配階級が支配すると云う「権力志向」であり、リンチ殺人事件に見られるところの「暴力肯定」なのである。左記の考えについては、総論的には『日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実』をご一読願いたい。我が党が、宮本顕治らによるリンチ殺人事件の真相を追求し続けるのは、本事件を検証すること無しには――大串雅美事件や波多然事件も然りである――日本共産党の本質と実態を知り得ることは出来ないからである。日共は、ホロコースト否定論に対するユダヤと同様に「偽証」や「論点のすり替え」及び「情報隠蔽」を駆使した虚偽喧伝で抗らい続けている。対して、我が党は各論的に「小畑達夫の死因」及び「宮本顕治復権の嘘」等を検証してゆきたい。各論の第一論として、小畑達夫の死因について「特異体質によるショック死」と強弁する日本共産党と宮本顕治らの嘘を切り崩す。まずは、小畑達夫殺害の概要を袴田里見と小畑俊男氏(達夫氏の弟)の言葉から抜粋する。

●概要『昨日の同志・宮本顕治へ』より

袴田里見(リンチ殺人事件共犯のちに日共を除名)によると「そのとき、宮本は右膝を小畑の背中にのせ、彼自身のかなり重い全体重をかけた。さらに、宮本は小畑の右腕を力いっぱいねじ上げた。それは尋常ではなかった。苦しむ小畑は、終始大声を上げていたが、宮本は手をゆるめなかった。小畑の右腕をねじあげれば上げるほど、宮本の全体重をのせた右膝が小畑の背中を圧迫した。やがてウオーという小畑の断末魔の叫び声が上がった。小畑は宮本の締め上げに息が詰まり、遂に耐えられなくなったのだ。小畑はぐったりとしてしまった。」(『昨日の同志・宮本顕治へ』袴田里見著)

●親族が語る拷問殺人の残虐

小畑達夫の亡骸を見た親族に「これ以上は書けない」と云わしめた峻烈なるリンチ拷問殺人であったことは、『日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実』の項で取り上げているが、その小畑氏の弟、小畑俊男氏の言葉を昭和9年5月22日付け『秋田魁新報』から引用する。死体解剖検査記録や村上・宮永鑑定及び古畑鑑定とは一部違う部分も見られるが、監察医と一般人の視点に差異が生じるのは当然である。幾ばくかの相違点を踏まえても、宮本顕治らの行ったリンチ拷問殺人は人間をして行い得ない“鬼畜の所業”と断罪されるべき悪鬼の所業である。目を覆いたくなる様な記述が見られるが、以下の弟・小畑俊男氏の手紙を一読願いたい。

「(前略)すぐに警視庁に行って尋ね、所轄の代々木署へまわって死体を見ました。何という変わり果てた兄の姿だったであろう。新聞の報道は何の誇大でもありませぬ。正に残虐の限りを尽くしたというべきであります。その時の感慨は筆舌につくせぬものです。手や足は縛られ、勿論、体の自由は奪われていたでしょう。更に口の中には綿が一杯詰まっていました。解剖の時、その綿をとっても、最後まで口は開いたままで歯が合わなかったのです。物を言う自由、自分の正しさをいう自由を奪われ、血迷える同志の手責め苛まされたのでありましょう。それを思うと情けなく、くやしくなります。兄はどんなに悔しかったことでしょう。顔の半分は濃硫酸にやけて青むらさきに変色し、一つ目は完全に潰れていました。首に残っている縄の痕、体の傷はいうまでもありませぬ。

解剖の時、あらわれて見えなかった顔の傷もはっきり見えました。鋭利なノミ様のもので切ったものでしょう。長さ三分から五分くらいの切り傷が真新しく現れました。新聞には摩過傷とありますが、あれはウソです。解剖前に母も妹も三郎にもその他の人たちにも見せました。これ以上書けませぬ。書くのは残酷で…。(中略)思うに胸が一杯だ。あの疵、あの残虐!」

上記の文章と一読しただけでも、日本共産党と宮本顕治が喧伝する「小畑達夫には指一本触れなかった。死因は特異体質に因るショック死である」と云う戯言が如何に嘘で嘘を塗り固めたものであるかは、日共に洗脳された党員及び支持者でなければ、幼子でも容易に分かりそうなものである。

小畑・大泉両氏を断罪する赤旗号外










(小畑・大泉両氏を断罪する昭和8年12月24日付『赤旗』)

●高松博士による再々鑑定

ここからは、京都大学名誉教授であった高松英雄博士が記された『解剖所見にみる私の鑑定と推理』(以下、『高松・再々鑑定書』)から抜粋する。

「まず、小畑達夫の死因については二種類の鑑定書がある。その一つは小畑達夫の屍体発見後、間もなく解剖し、死因の鑑定が行われたもので、村上次男および宮永学而共同作成によるものである。私は現在公表されている資料を検討したに過ぎないが、この村上鑑定書は極めて価値が高いと判断している。」(注:以下、その理由として、寒冷の時期であったこと、土中に埋没されていたことで屍体の保存には好都合な条件であったと述べられている。)

●「死体解剖検査記録」

「死体解剖検査記録」は村上、宮永両氏の共同制作になるもので、「鑑定書」と併せてある。「死体解剖検査記録」というものは、通常多数の立会人のもとに所見が記載されるものであり、偽りの所見を述べる余地などない。(中略)後年の「古畑種基鑑定」もまた、これを基礎としている。「死体解剖検査記録」はその一節で次のように記述している。(注:専門的な記述が多く読解し難い場合は、次段の高松博士の解説に進んでいただきたい。)

「本屍ノ心臓並二大血管内ノ血液ハ流動性ニシテ急死ノ像ヲ呈シ本屍体中顔面二於テ前額右側部二約大胡桃大、大鶏卵大、下顎部右側口角部二約蚕豆大ノ皮下出血三個、頭部二於テ左側前頭結節部二約鶏卵大、左顱頂部二約胡桃大、同顱頂結節部二約蚕豆大、左顳顬部後部二約蚕豆大ノ軟部組織間出血三個、左側顳顬筋二約豌豆大及鶏卵大各一個、右側顰顬筋二約大豆大数個、約豌豆大一個ノ筋肉間出血、頭蓋骨二於テ夸隆部二約豌豆大五個、頭蓋底二大豆大数個、小豆大数個ノ骨質間出血、硬脳膜下二約二倍鶏卵大及胡桃大薄層ノ出血、軟脳膜下二約胡桃大、蚕豆大及豌豆大各一個、左手背面二於テ米粒大、中指二大豆大ノ表皮剥脱一個、示指二約大豆大ノ皮下出血一個、右手背面二於テ米粒大表皮剥脱二個、大豆大ノ皮下出血一個、左下肢二於テ大腿外側中央部二約小豆大二個、約豌豆大及蚕豆大各一個、同下部二約大豆大及豌豆大各一個、膝蓋部二約胡桃大一個、下腿前側上部二約大豆大、豌豆大及胡桃大各一個、足背二米粒大、蚕豆大及大豆大各一個ノ皮下出血(十三個)、右下肢二於テ大腿外側上三分ノ一ノ処二約豌豆大、下三分ノ一ノ処二約蚕豆大及鶏卵大、前側中央部二大豆大各一個ノ皮下出血(四個)其他左右の前膞下部及左右下腿下部二於テ緊縛ノ痕跡ヲ存在ス、前記ノ損傷ハ本屍ノ生前鈍体ノ作用二由テ生シタルモノトス」

●幽霊、お岩の顔さながら

要するに顔面、前額部、頭部その他に大小多数の皮下出血があり、また、筋肉間出血、また頭蓋腔内に、硬脳膜下、軟脳膜下の出血、骨質間に出血がある。出血の場所とその大きさについては、医学的慣習的表現が使用されているので、一般の方には、これも理解困難ではないかと思われる。(中略)しかし仮にいま、紙上に実物大の顔面、頭部、両側側頭部を描き、記録にしたがって皮下出血の部分に相応の大きさに着色してみるとよい。こうして観察してみると、これらの出血の状態はまったくひどいもので、紫斑病のような「内因性出血」によるものとは異なり、一見して打撲のような外力によるものであることが判る。出血の部分では局部血管の破綻があって、血液や体液が集まるので膨張して、いわゆるコブができ、いわゆるお岩の幽霊にも劣らぬ凄惨な状態であったと思われる。

小畑達夫氏の屍体損傷図

















(小畑達夫氏の屍体損傷図)

●脳震盪死は脳挫傷死

宮本をはじめとする日共側は、小畑氏の特異体質によるショック死と主張してきた。その根拠は、小畑氏の死因を“脳振盪死”とした最初の死体鑑定書(村上次男、宮永学而作成=村上・宮永鑑定書)を覆して“ショック死”とした第二の鑑定書(古畑種基作成=古畑鑑定書)にある。しかし古畑鑑定書によれば、ショック死はショック死でも“外傷性ショック死”であり、特異体質によるものとは質を異にすることは明らかなのである。宮本は戦災で古畑鑑定書も焼けて、もう存在しないものと考え、自分の都合の良いところだけを“つまみ食い”して小出ししていたのである。しかし幸運なことに、古畑鑑定書は焼失を免れていたのである。

その古畑鑑定書であるが「本屍ノ死因ノ一ツトシテ脳震盪ヲ考慮スルコトハ不当デハアリマセン。然シ乍ラ脳震盪ハ頭部二可ナリ強大ナル鈍力ガ作用シタト言フ事実ガ存在シタ時ニ初メテ考ヘラレルモノデ、本件二於テハ頭部ニカカル強大ナ鈍力ガ作用シタト言フ証拠ガアリマセンカラ、本件被害者ノ死因トシテ脳震盪ハ適当シマセン」と記載されている。

この脳震盪について、高松博士の言葉を次に引用する。「私は、脳震盪(Commtio Cerebri)というものは外力を受けて、脳実質には組織構造の損傷はないが機能が一時失われている状態としている。柔道などで投げ飛ばされて頭を打ち、一時意識を失うが、意識を回復した後ではたいした障碍は残っていないという事例は、多くの人達が経験しているところである。このようなものを私は脳震盪といっており、脳の実質組織に損傷がある場合には、脳挫滅または脳挫傷(Contusio Cerebri)という言葉を使用している。

小畑達夫の場合には、頭蓋骨に明瞭な骨折はないにしても、骨質間出血、硬脳膜下、軟脳膜下に、および頭蓋底にも出血があるので、脳実質にも若干損傷があったとも推測し得られる。したがって、村上・宮永博士の「震盪」という言葉は、私の使用している「挫滅」を意味しているのではないかと思う。古畑博士のいう「強大な鈍力」というのは、たとえばその外力の衝突する面が平面であったり、衝突する部分が厚い布などで覆われているような場合には、皮膚表面に損傷を与え難いものであるから、これは証拠が残り難いと考えられる。いずれにしても、程度の差こそあれ外力を認めておられることは、その結論に現れている。

●虚脱死とは外傷性ショック死である

古畑鑑定書に記載された「ショック死」については、先に述べたとおり日共と宮本顕治は己に都合の良い部分のみを“つまみ食い”していたのであるが、原文に当たると日本共産党の主張は、ホロコースト同様に“完全なでっち上げ”であることが明白である。古畑鑑定書から最も重要な箇所を次に記す。

「本件二於テハ被害者ハ肉体的二色々ノ外力ノ作用ヲ蒙ツテ居タ事、空腹、渇ノ状態ニアツタ事、精神的苦悶(脅迫、暴行ニヨツテ)ヲ受ケテ居タト思ハルゝ事、且、死亡ノ直前二於テハ壮年四名ト必死ノ格闘ヲナシ其間絶エズ大声ヲ出シテ居タト言フ事ニヨリ、肉体的ニモ精神的ニモ疲労困憊ノ状態ニアツタト推測セラレマス。私ハ本件ノ被害者小畑達夫ノ死ハ私達ノ言フ所ノ虚脱死デアルト考ヘマス。但シ之ハ従来外傷性ショック死ト称セラレテヰタモノト同義ノモノデアリマス。」

上記のとおり、古畑鑑定書は「虚脱死は従来、外傷性ショック死と称せられていたものと同義」であるとし、その原因は「脅迫、暴行、空腹、渇き、死亡の直前に宮本を筆頭とする四名と必死の格闘をしたことである」と明確に記されているのである。

●絞殺又は扼殺の可能性あり

村上・宮永鑑定の結果は脳震盪死であるが、これは、頭部、顔面その他の皮下出血、頭蓋腔内の諸々の出血からみて、殴打などの外力が働いたことが歴然としており、打撲による脳震盪が直接に死に至らしめたものと解したためである。これに対して古畑博士は、「本屍の死因の一つとして脳震盪を考慮することは不当ではありません」とし、同時に「本件においては頭部にかなり強力な鈍力が作用したという証拠がありませんから」ということで、他に説明を求めたのである。(中略)裏返せば、「外傷がなければ虚脱を起こすことはなく、また、死亡することもなかった」ことを意味している。高松博士は「宮永鑑定も、古畑鑑定も否定する訳ではなく、どちらもあり得ると考えるが、同時に、また絞頸死もしくは扼死であり得ると推理する」と絞殺と扼殺の可能性にも言及されているのだ。以下、『高松・再々鑑定書』より転載する。

「(前略)次に絞頸死であるとすると通常索溝が見られるが、これは、生存中であれば圧痕は回復されるが、局所が死亡すると、いわゆる生体反応がなく物理的に生じた陥凹が残存するもので、小畑の場合には陥凹があり、また、皮下の甲状軟骨の左右角部附近に出血があるものの、小さいので、要するに「絞殺死に見られる症状が顕著でない」と、古畑博士は見做されているが、果たしてどうであろうか。」

『日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実』でも述べたが、小畑達夫死亡前後の様子を再度確認するために、袴田里見公判調書から引用する。次段に原文ママを、加えて次々段に現代語訳を付す。

/小畑氏殺害の様子
「宮本カ片膝ヲ小畑ノ背ニカケ同人ノ手ヲ捻上ケタノテ私モ起上リ小畑ヲ押ツケテ組敷イタノテスカ其ノ間木島ハ小畑ノ足ヲ縛ツテ居リマシタ 斯クシテ小畑ヲ皆テ押シツケテ居ル間小畑ハ絶ヘス大声ヲ発シテ怒鳴ツテ居リマシタカ最初私ト一処ニ同人カ倒レタトキ同人ノ頭部カ逸見ノ座ツテ居ル前ニ行ツタノテ逸見ハ片手テ小畑ノ首筋ヲ上カラ押ヘツケ片手テ小畑ノ頭ヲ振リナカラ声ヲ出スナ声ヲ出スナト云ツテ居リマシタ 然シ小畑ハ大声ヲ出シ死力ヲ尽シテ抵抗シ吾々カ押ヘツケテ居ル手ヲ跳ネノケ様トシタカ吾々モ夫レニ対抗シテ全身ノ力テ押ヒツケテ居ル中小畑ハウウーツト一声強ク上ケタト思フト急ニ静ニ成ツタノテアリマス(第二回公判調書)

/現代語訳
宮本が片膝を小畑の背中にかけ同人の手を捻上げたので私も起き上がり小畑を押し付けて組み敷いていたのですが、その間、木島は小畑の足を縛っておりました。しばらくして小畑を皆で押し付けている間、小畑は絶えず大声を発して怒鳴っておりましたが最初、私と一処に同人が倒れたとき、同人の頭部が逸見の座っている前にいったので、逸見は片手で小畑の首筋を上から押さつけ片手で小畑の頭を振りながら「大声を出すな」と云っておりました。しかし小畑は大声を出し死力を尽くして抵抗し我々が押さえつけている手を跳ね除けようとしたが、我々もそれに抵抗して全身の力で押さえつけている中、小畑は「うぅーっ」と一声強くあげたと思うと急に静かになったのであります。」
上記を図示すると次のようになり、高松博士は「逸見の手が小畑の口を押えたとすると、鼻の孔が閉ざれない以上、そのまま窒息とは行かないが、大きく呼吸を障碍したと考えられる。」と指摘されている。

宮本顕治らによる殺害時格闘図









(宮本顕治らによる殺害時格闘図)

●そのとき宮本の手はどこにあったか

最も重要なのは宮本である。腹の上に大の男が馬乗りに乗ったとすると、それだけでも大きく呼吸をさまたげる。更にこの時に、宮本の手はどこにあったのか。まさか、両手はフリーで、タバコなどを吸っていたとは考えられない。暴れる小畑を押さえるために、宮本の両手は、小畑の頸を押さえたことは、十中八九までは間違いあるまい。もし、始めから絞殺の積りであれば、細引、縄等を準備して絞頸死に致らしめたであろう。予期せざる出来事であれば、手をもって頸を扼したと考える。被害者が大人であれば、普通では扼殺は無理である。しかし小畑は前日来の暴行により、また、飢餓、渇、および寒冷(小畑は服を脱がされ下着のままであった)等のため疲労困憊の状態にあり、今また死力を尽くしての格闘であるから抵抗はその極限に達し、また大人四名が押さえていたとすれば扼殺も可能となる。

「このような状態で小畑は簡単にグッタリしてしまったので、宮本顕治もあわてたもののごとくである。もし小畑が警察のスパイであるならば、自白させた上、警察の連絡の方法等を聞き出す必要があり、それまでに殺しては目的を達せぬことになる。意外に早く死んだので、あわててすぐ手を離したと考える。したがって扼溝もしくは索溝は軽微であったとも考えられる。點状出血については前に述べたように窒息の場合でもいろいろあり得る。

一方、前日よりの小畑の頭蓋内及脳内の変化は少し宛進行し、丁度、手を頸にあてた時にその限度に達して脳挫傷になったのかもしれないし、また、手を頸にあてがう際には、下方から上方に押す形となるので縊死と同様の外力となり、この際の圧迫が刺激となって、即時的の「ショック」を招来したということもあり得る。このようにみると、死因を一つに求めてその他の要因は死因でないとは簡単には言えない。当局が起訴し、裁判するための書類作成のためには簡単な一つの言葉で死因を表現することが好都合であるかも知れぬが、学問的には画一的な結論を要求することの方が無理であろう。何れの鑑定であれ、またこの私(注:高松博士)の推理であっても共通して言い得ることは、すなわち、他殺である。」

●再燃するリンチ殺人事件

日共リンチ殺人事件について、日本共産党は隠蔽と虚偽喧伝に終始してきた。しかしながら、昭和49年夏の参議院選挙で春日一幸民社党委員長が「極悪非道ですよ。共産党は。反対者を殺すのだから。昭和8年、宮本顕治や袴田里見が何をやったか。予審調書を見ればわかる。連合赤軍とどこが違うのか。口ではない。彼らが何をやったかだ。それをもとに判断するしかないじゃありませんか」と訴えたのを毎日新聞が記事にし、続く昭和50年12月10日発売の『文芸春秋』誌上に於いて立花隆氏の『日本共産党の研究』に古畑鑑定書が発表され、ことここに至り日共が喧伝してきた「特異体質によるショック死」の嘘が露呈したのである。

日本共産党の「でっち上げ」の一例として『日本共産党の五十年』(昭和47年初版)から次の一文を引用する。「公判においても、小畑の死亡が特異体質によるショック死であることが法医学的にも指摘され、警察のデマ宣伝はうちやぶられた」(原文ママ)

如何であろうか。今まで縷々説明してきたとおり、小畑達夫の死は“他殺”であり、公判記録及び死体鑑定書――つまり法医学――に於いても日共が『日本共産党の五十年』で主張している「特異体質によるショック死」とは正反対の「外傷性ショック死」と確定判決が下されているのである。古畑鑑定書の全文が公表されると、それまで、宮本らに都合の良い箇所だけを抜粋し肯定してきた古畑鑑定書を否定し始める様は、日本共産党は“自己都合の証拠”しか認めない犯罪者集団であり、自らの刊行物でさえも書き換える程度の党史なぞ捏造された「非転向の闘争史」以外の何ものでもないことを満天下に知らしめたと云えよう。斯様な団体が国会議員を擁し堂々と政党を名乗っている現状は異常である。公安調査庁は日本共産党に破防法を適用し、この人殺し集団を即刻解散させるべきである。

我が党も暴力には暴力を以て応戦し、小畑達夫氏をはじめとした数多の犠牲者の御霊安らかたらんために、悪鬼の巣窟たる日本共産党を壊滅させる真の闘争を断行してゆく。


参考資料:「文化評論 臨時増刊」 新日本出版社
       「宮本顕治公判記録」 宮本顕治 新日本出版社 
       「昨日の同志・宮本顕治へ」 袴田里見 新潮社
       「日共リンチ事件と宮本委員長の内幕」 産経新聞出版局
       「リンチ共産党事件の思い出」 平野謙 三一書房
       「日本共産党の研究」 立花隆 講談社
       「正論 平成16年11月号」 兵本達吉 日本工業新聞社
       「日共リンチ殺人事件」 松本明重 恒友出版
       「歴史を偽装する日本共産党―リンチ事件をめぐる9つの嘘」 民社党教宣局
       「裁かれる宮本顕治・日本共産党への審判」 国際勝共連合広報委員会

国家社会主義国際戦線の更なる構築

我が党は1992年頃から亜米利加、欧州、露西亞、南阿弗利加、加奈陀のナショナルソシアリスト達と連携と連帯と信頼を築いて来た。アフリカーナ抵抗運動(Afrikaner Weerstandsbeweging=AWB)やNSDAP-AO、ロシア愛国戦線パーミャチ同じくロシアのロシア人民民族党、カナダのエルンスト・ツンデル一派、ドイツ・オーストリアのミヒャエル・キューネン、クリスティアン・ヴォルヒが率いる新前線行動隊、アメリカのW ARトム・メッツガー等との密接な連携・連帯は特質すべきであろう。現在は各国の政府により解散された団体も数多くあるが。イギリス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド、バルト三国、ギリシャ、ハンガリー、トルコ、フィンランドの国家社会主義者との連携も進んでいる。グローバリズムとシオニズムに対応するためには、各国の国家社会主義者の団結が必要であると各団体の共通の理念の基に我々は前進しているのだ!

我が党は殆どのヨーロッパ、アメリカの世間で言われている「白人至上主義団体」と対等な立場で協力関係を結んできた。最近ではブラジルをはじめとする南米のペルーなどの国家社会主義団体からも連帯の要請がある。
その中で今月正式に連帯をした団体はフィリピンのフィリピンナショナルフロント(PNF)である。我が党を筆頭にして有色人種の国家社会主義の勃興を図るのも今年の目標である。

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(我が党とPNFとの連携確認書面)


IMG_3597

-以下、PNFの運動画像である。-
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