告 

われわれは ほかの心ある日本人とおなじように この日本の国土 文化 伝統を愛する。
それゆえにこの日本を否定するものを許さない。
 一月二十四日 われわれは朝日新聞東京本社東がわに数発の弾を発射した。
だが 朝日は われわれが警告文をおくった共同 時事と共謀して それを隠した。
 われわれは本気である。
すべての朝日社員に死刑を言いわたす。
 きょうの関西での動きはてはじめである。
 警告を無視した朝日には第二の天罰をくわえる。
ほかのマスコミも同罪である。
 反日分子には極刑あるのみである。
 われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける。

            二六四七年 五月三日 赤報隊 一同

1987年5月3日の憲法記念日、午後8時15分兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入。2階編集室にいた29歳の小尻知博記者と42歳の犬飼兵衛記者に向け発砲。小尻記者は翌日死亡。
上に載せた「告」という犯行声明文はその後に各マスコミや一部新右翼団体に送られてきた声明文である。


この義挙が行われる数年前まで私は、統一前線義勇軍の集会に度々出ていた。当時義勇軍は、木村三浩議長を先頭に、亡くなられた板垣哲雄氏、左翼上がりの者や元アナキストが混在するサルーン的な組織であった。
サルーンと言っても今考えても極めて過激で、義勇軍の発行していた「義勇軍報」などでは、TNT爆弾の作り方や、「都市ゲリラ教程」から写したのか殺人の方法すら書かれていた。当時の民族派の最前線をひた走り、他の団体の追随を許さなかった。運動も火炎瓶闘争を主体とした団体で、今の「平成保守」「平成ウヨク」とは全く違う運動展開をしていたのである。
また、この数年前には清水浩二( 見沢知廉 )氏が公安のスパイを粛清し12年の刑に服していた。

当時を振り返ると、俗に言う山一戦争(山口組と分裂した一和会の抗争事件)や、同和の尾崎清光殺害事件、グリコ森永事件などがあり、日本全体がバブル初期段階で世間がざわついていて、いまの世の中とは全く違う良い言葉で言えば躍動的な世相だったのである。

私自身も多少はバブルの恩恵に与っており、赤報隊事件の数日前に偶然ではあるが当時大行社会長の岸悦郎氏の紹介で不動産屋の「八大産業」から私の住友の口座に一億円が振り込まれていた。
また、この年は年始から数回、台湾に呼ばれ、東京-台湾を行き来する日々を送っていたのである。

義勇軍の運動をし、不自然な入金、そして海外での生活、公安に事件後24時間体制で3カ月間マークされ追尾、行動確認、深夜まで自宅の下に車を止め見張られていた。驚いたのは、私がゴミ捨て場にゴミを捨てしばらく歩き振り返ると私の捨てたゴミ袋を一般車両が拾い持っていったのである。

当時、公安三課の担当刑事は、毎日のように自宅に押し寄せ、それとは別に公安の捜査班がべったりと張り付いていた。 当時、こんな事は私だけではなく都内だけでも数十人、特に統一前線義勇軍関係者を中心にこんな事が行われていたのである。

この事件では都内では統一前線義勇軍、一水会が、関西では祖国防衛隊が公安にマークされていた。ちなみに作家の一橋文哉の「赤報隊の正体」と言う著作で出てくる関西の右翼とは、祖国防衛隊の事である。

話を戻すと、当時の朝日新聞は1984年に大々的にキャンペーンを張った「南京大虐殺」に関し元日本兵日記、で内容は「惨殺に直接かかわり苦しむ心情を綴った日記」と中国人の男性と女性の生首が転がっている写真を三枚掲載した。朝日新聞によれば、この日記を書いたとされるのは、都城23連隊の兵士とされていた。しかし、都城23連隊の存命していた面々がこの日記について2年がかりで調べたところ、全くの偽物であった事が判明した。また、朝日ジャーナルは84年に本多勝一の「南京への道」を書き、また同じ頃、これまた出鱈目(後に本人が出鱈目だったと認めた)吉田清司による「従軍慰安婦問題も大々的にキャンペーンを張っていた。

赤報隊の義挙はこのように偏向、偽造、嘘の記事を書き、何の写真かわからない写真まで「旧日本軍の残虐行為」と偽って紙面を賑わせていた、そんな時に起こったのである。

朝日新聞

赤報隊の銃弾により、朝日新聞では、この様な出鱈目な反日記事を自制している。

我が党は、赤報隊義挙発生以来一貫として彼らと彼らの行動を支持している。民族派の中には、赤報隊を「右翼の匂いがしない」だの「あれは、外国人の仕業である」また、「赤報隊は私である。バイクで犯行に及んだなどと」と週刊誌に告白したバカ者もいる。ちなみに犯行に使われた車両は赤色のコスモかローレルだ。
また、「赤報隊に会ったことがある」などとのたまっている者さえいて、全てこれらは口舌の徒であるのだ。

来月、5月3日、東京中央区の 水谷公園で朝日襲撃25周年祝賀国民行進が行われる。

 この集会に参加する者に告ぐ、一発の銃弾が1万人のデモより効果があることを忘れてはならない。
尖閣諸島問題の時に一万人に近いデモが行われたが政府は何をした? 石原慎太郎が発言しただけではないか? フジテレビに対するデモで何か変わったか? 今度は日本テレビをが韓流ドラマを放送しだしたではないか。左翼指導で不安を煽って行われている「反原発デモ」でどうなったのだ。政府は再稼働に躍起になっているではないか。
もう一度言う、自称保守の諸君、平成のウヨク諸君、運動とは究極は一発の銃弾なのである。デモをすることは
方法であって目的ではない。

朝日新聞2